プレジデント・オンラインに掲載された、島田裕巳氏による「こうして『女性・女系天皇』はいなくなってしまった…宗教学者が指摘「女帝時代を終わらせたこの一族の罪」大変重要な内容が、充実しながらも読みやすい量で記されています。
飛鳥・奈良時代は、16代のうち実に8代が女性天皇だった「女帝の時代」で、数、各々の在位期間、そして功績を見たらとても中継ぎとは呼べない点について、スタンプで押したような一辺倒の男系男子固執を述べる者の99%はまともに反論できないでしょう。
そして改めて重要だと思ったのが、明治以前には15代天皇とされ、記録上は69年もの在位(昭和より長い!)があった女帝・神功皇后の存在です。
神功皇后は明治後期〜大正にかけて皇統譜が定められる過程で「摂政」とされてしまいましたが、一方で明治14年には「日本で初めての肖像画入り紙幣」という非常に重要な所に登用されています。
ここまでの存在感があると、島田氏の「万世一系を強調し、皇位を男性に限定した明治以降の政府は、そんなに長く在位した女帝を認めたくなかったのだ。」という記述にも、一層の納得感が生まれます。
「万世一系」の強調や「皇位継承の男系男子限定」(そして神功皇后の「格下げ」)は、世界を蹂躙する欧米列強の帝国主義と対峙する中でのイメージ施策として用いられたものです。
これはむしろ、女帝の存在が非常に大きな意味を持つ日本の歴史・文化を、「その時局のグローバル的な事情による打算」で歪めてしまったとも言えるでしょう。
それを、無知や、詐欺師の弁に籠絡されて「日本の伝統だ!」と思い込み、国連の女性差別撤廃委員会から(むしろ本来の日本史・文化に近くなる)男系男子固執の撤廃を勧告されると「内政干渉だ!」などと騒ぐのは、非常に滑稽な姿という他ありません。
さて、神功皇后は女帝というだけでなく、三韓征伐などを行った武勇の面でも名高い存在。
推古天皇の遣隋使もそうですが、「自主独立国家としての日本」における女帝の存在は、重要という表現では表しきれないほどの意味を持っています。
ネトウヨ的世間で保守を名乗る者は、自主独立なんてどうでも良く、「アメリカの核の傘で守ってもらいながら、殻の中でぬくぬくと男尊女卑を甘受して、ウンチクだけ語って威張りながら暮らしたい」だけなんじゃない?
皇位の安定継承につなげるため、性別を問わない継承へと典範改正する事は、今度こそ政府の打算ではない君民一体の意思で、グローバリゼーションに対峙して自主独立を成し遂げて行くための、本当の本当に最初の一歩であると強く感じます。